巨大津波に流されなかった住まいを改修して、 「希望」という名の喫茶店を開きました。

地震・津波2011年東日本大震災の地震と津波の体験談。

パルコン2棟が瓦礫の波を食い止めた。

仙台市内唯一の深沼海水浴場、その松林の西側に広がる荒浜の街に、S様とお父様がお住まいのパルコンは建っていました。
あの東日本大震災が起きた2011年3月11日、荒浜地区に津波警報が発令されました。S様とお父様はそれぞれ外出されていましたが、急いで避難所に逃げたそうです。なかなか被害状況がわからないなか、その夜、宮城県警の情報として「若林区荒浜の海岸に200人を超えるご遺体が打ち上げられた模様」と報道され、被害の甚大さに全国の人々が息を飲みました。

瓦礫を食い止めたオーナー様のパルコン

避難所から戻られたS様が目にしたのは、廃墟と化した荒浜の街並みでした。S様のご自宅の中には、25本ほどの防風林が根っこごと侵入し、車が3台ぶら下がっている状態でした。
「幸い、うちと隣の家はパルコンだったので、建物は残っていました。その2棟が瓦礫の波を食い止め、後ろにあった木造のお宅も守ることができました。避難所で再会したとき『Sさんの家があったから助かった。感謝しています』と言われました」と当時の様子を語られるS様。

荒浜地区復興のシンボルとしてマスコミにも取り上げられる「希望」喫茶店

その後、荒浜地区は災害危険区域に指定され、新築は不可となりましたが改修は可能でした。“長男としての責任を果たすこと”、“生まれ育った荒浜の地を離れたくない”、その想いから、S様は全面改修を決断されました。

改修されたお住まいは、はじめは被災者やボランティアの人たちの休憩所として開放されていましたが、次第に利用者の方が増え、お金を置いていく人も多くなり、「それならいっそのこと、皆さんに休憩場所として利用していただこう」と考えられたS様とお姉様は、ご自宅の1階に喫茶店をオープンさせました。
喫茶店は、お姉様により「希望」と名付けられました。現在はボランティアの人をはじめ、仮設住宅の人などが訪れる憩いの場となっています。
また、荒浜地区復興のシンボルとしてマスコミにも取り上げられ、遠方から訪れる人もいるそうです。
「荒浜に育てられた感謝の気持ちでやっています。希望を持って頑張っていきたい」とお二人は明るい笑顔で語ってくださいました。

2011年東日本大震災の地震と津波の体験談。

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